NHKは、1958年の米国の水爆実験中に日本の海上保安庁の船2隻が放射線にさらされた詳細な報告を明らかにした。その後、乗組員1人が1959年に白血病で死亡した。
この事件は、1945年に米国が広島と長崎の都市に原爆を投下した後、また1945年に米国が太平洋のビキニ島で水爆実験を行った後に日本の漁船が被曝した後に起きた。
NHKは、日本の海上保安庁の船舶の乗組員の一部が白血球の大幅な減少に苦しんでいるという米軍医からの報告を発見した。
1958年7月、太平洋を航行中の「拓洋」と「さつま」の2隻がビキニ島での実験中に放射線を浴びた。
1か月後、当時の日本の保健省の委員会は、彼らが放射線の影響を受けた兆候はないと結論付けた。
1959年8月、拓洋の機関長だった長野博吉氏が急性骨髄性白血病のため死去した。
その後、上記の保健省委員会は、彼が被曝した放射線量は非常に微量であったため、この被曝が彼の死に関連していることを確認するのは困難であると結論付けた。
NHKは放射線治療の専門家である斉藤治医師と協力し、事件直後に日本人乗組員を診察した米軍医療関係者からの報告を分析した。
報告書によると、乗組員の3分の2に当たる16人が白血球減少症を患っており、重度の白血球減少症と考えられる人もいたという。
それでも報告書によると、乗組員の半数に相当する12名に白血球数に深刻な異常があったという。
報告書はまた、これらの症状は500ミリシーベルト以上のレベルへの被ばくによる放射線障害に関連している可能性があるとも述べている。
しかし、報告書は健康への影響はないと結論づけており、2隻の船が被ばくした放射線量は微量であると示唆した。
斉藤博士は、この報告書が放射線の影響を認めていないのは問題だと言う。