日本で全焼した飛行機の乗客らは、避難の18分間は爆発と炎が徐々に飲み込み、恐ろしい時間だったと語った。
1月2日午後5時47分、東京・羽田空港で日本航空のエアバスA350型機が海上保安庁の航空機と衝突し、激しく揺れた。 乗客が窓の外を見ると、エンジンと左翼が燃えているのが見えた。
飛行機の最前列右には、神奈川県川崎市の金子博教授(67)が座っていた。 同氏によると、飛行機は着陸中に大きく前傾し、その後停止する前に右に旋回したという。
それから彼は火が上がり始めるのを見た。 「急いで避難する必要がある」と男性は叫んだが、客室乗務員らは飛行機が完全に停止するまで乗客に安静を保つよう繰り返し呼び掛けた。
爆発が続く中、飛行機の右側に座っていた東京からの乗客、坂本良介さん(55)はエンジン付近の窓の外に赤オレンジ色の光が見え、隣に座っていた人が「おかしい」と声を掛けた。それは赤だということ。」
後部窓に近い座席に座っていた東京の40歳の乗客は、外の火が座席に燃え広がり始め、約5分後に「飛行機の中央から煙が出始めた」と語った。 客室乗務員らは、乗客の安全を確保しながら脱出できるようにどの非常ドアを開けることができるかを議論していた。
その後、機長は火災の原因はまだ不明であると発表したが、客室乗務員は乗客に対し、座席に座ったまま地面に低くしゃがむよう求めた。 飛行機のアナウンスシステムが使用できなかったため、乗客らは大声で叫んだり拡声器を使って、安全に避難できると考えられる3カ所の非常口に乗客を誘導した。
45歳の医療従事者は、早く逃げたい乗客と席に戻るよう求める客室乗務員の間で口論になった時期があったと語った。
前部座席に座っていた群馬県館林市の医師(52)は妻子とともに非常用滑り台を使って避難し、他の乗客を手伝いながら滑り降りた。 全員がパニックに陥り、倒れる者もいたと彼は語った。
「飛行機が発火して爆発するかもしれないと考えると恐ろしい」と彼は語った。
全員を助けた後、彼は駐機場で待っていた妻と12歳の娘を抱きしめた。 同氏は「彼らは非常に良く訓練されているようだった」と乗組員の冷静な調整を称賛した。
18分後の午後6時5分、乗客乗員379人全員が安全に避難し、飛行機は火災に巻き込まれた。 事故はA350型機が札幌市から東京に向けて飛行後に着陸し、海上保安庁の哨戒機DHC-8-315が洞窟地域に救援物資を届けるため離陸準備をしていたときに発生した。
日本航空によると、A350のパイロット3人は衝突前、海上保安庁の哨戒機が滑走路を移動するのを見ていなかったため、飛行を中止する可能性は考えていなかったという。 この衝突により哨戒機は火災を起こし、搭乗していた5名が死亡、機長のみが生き残った。
タン・タム (によると 共同通信、NHK、AFP)