日本中部を震撼させた地震の瞬間を目撃者が語る

日本中部の地震では少なくとも30人が死亡し、多くの家屋が倒壊または火災に見舞われた(写真:Getty)。

2024 年の初日の午後 4 時頃、マグニチュード 7.6 の地震が中部日本のいくつかの州を震撼させました。 その中でも最も大きな被害を受けたのが石川県でした。

石川県の有名な観光地である金沢では、地元在住の大開彩子さんは、地震が発生するとすぐに、2人の子供とともに自宅近くの小学校にすぐに避難したと語った。 教室、階段、廊下、体育館のすべてが人でいっぱいでした。

「大地震の後は避難するのが一番安全だと思う。いつ自宅に戻れるかはまだ分からない」と説明した。

地震が発生したとき、幸運を祈る新年の伝統に従って、富山市の沿岸都市にある寺院での式典への出席を待っていた数千人のうちの一人であるダニエル・スミスさんは、「最初の衝撃は非常にゆっくりで、人々は何も感じなかった」と語った。反応する。 「瓦礫がたくさんあったので、私たちは神殿に向かって進み続けました。その後、地面がいつもとは違って非常に強く、激しく、継続的に揺れました。その後、司祭が飛び出してきて、全員に避難するよう促しました」とダニエルさんは語った。

日本の長野地方を旅行中の台湾人観光客、ジョニー・ウーさん(50)は、リゾート地白馬のホテルに戻るバスを待っているときに地震が起きたと語った。

「あの時はみんなとても怖がっていました。私は台湾で何度も地震を経験していたので、少し落ち着いていました。でも、余震がもっと深刻になるかもしれないという不安もありました。」と彼は言いました。

新潟県妙高市で休暇中のオーストラリア人観光客マット・クレイワースさんは、1月1日午後、親戚とともに宿泊していたホテルが非常に強く揺れたと語った。 彼とホテルの他の人々は外に飛び出し、中には外気温がマイナス2度だったにも関わらずショートパンツ一枚を履いている人もいた。

日本の当局は、今朝(1月2日)の時点で、日本中部地域の地震による死者数は30人に増加しており、今後も増加する可能性があると発表した。 石川県で2万7000人以上が暮らす輪島市が最も大きな被害を受けた。

現在、石川県では4万5千世帯以上が未だに停電している。 数万人が300以上の避難所に避難している。

地震後、瓦礫の下敷きになった人々を救出するために、救助隊は時間との闘いを繰り広げている。 約1,000人の兵士が消防士と連携して救助活動を行うよう命じられた。

岸田文雄首相は「人命救助が最優先だ。時間との戦いだ。特に倒壊した建物に閉じ込められた被災者の救出は一刻も早く行わなければならない」と強調した。

tim

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